街情報

レジャー、観光

唐戸市場

唐戸市場
説明

唐戸市場はふぐの市場としてはもちろんのこと、タイやハマチの市場としても有名です。地元の漁師さんたちが獲得したり育てた魚も直接販売しており、地方卸売市場としては全国的にも珍しい販売形態を行う市場です。農産物の直売所もあり、漁業者や農業者が軒を並べて販売しています。また、あらゆる食材を取り揃えた「総合食料品センター」としての役割も果たしており、季節を織り成す食材で活況を呈しています。

現在は、毎週末と祝日に「活きいき馬関街(ばかんがい)」を開催中です。この「馬関街」は魚食普及を目的に魚を楽しんで食べてもらうための飲食イベントとして開催しており、旬の魚をリーズナブルにお買い求め頂けるほか、多数の海鮮屋台が出店し、出来立ての魚料理を味わって頂ける、目にも舌にも楽しいイベントとなっております。
 また、唐戸エリアで取り組む元気な街づくりの一環として、唐戸市場まつりを4月の春まつり、10月の秋まつりとして開催し、「食」のフエスティバルを行っています。

唐戸市場は「関門の台所」として、地方卸売市場及び交流市場としての役割を担い、訪れる人々の食生活に寄与するため、伝統を守りつつも新しい試みにチャレンジしています。

リンク http://www.karatoichiba.com/

海峡ゆめタワー

海峡ゆめタワー
説明

キラキラ輝くクリスタルの様に、朝・昼・夜、刻々と変わる海峡の風景を映しながら、遥か天空をめざしそびえる全長153mの「海峡ゆめタワー」。
平成8年(1996年)7月に関門海峡のランドマークとして誕生しました。
3層からなる球状の展望室の最上階は、日本有数の143mを誇ります。
展望室からは瀬戸内海、関門海峡、巌流島、九州の連山そして響灘(日本海)と360度の雄大なパノラマが一望に広がります。
移り行く光と影、響灘に沈むサンセット、海峡を埋めつくす煌めく夜景も…。
訪れた折々で、多彩な海峡の表情を楽しむことが出来ます。

リンク http://www.yumetower.jp/

赤間神宮

赤間神宮
説明

寿永4年(1185年)3月、平家は滅亡の時を迎えます。
安徳天皇は母が平清盛の娘・徳子(建礼門院)であったため、源平合戦で平氏が源氏に敗戦を重ねると、平家一門と一緒に都落ちすることに。
ここ下関の壇ノ浦の戦いで初めは優勢であった平氏も、潮の流れが変わると次第に劣勢になり、敗北が決定的となると安徳天皇の祖母である二位尼(平清盛の妻)が、安徳天皇を抱きかかえ入水。わずか8歳で生涯を終えます。
※京では寿永3年に元号を元歴に変えていましたが、平家は滅亡まで寿永を使用していました。

建久2年(1191年)、壇ノ浦を望むこの地に、時の後鳥羽天皇の命により御影堂が建立されます。当初は阿弥陀寺と称し、安徳天皇の霊を慰めるお寺で、勅願寺でもありました。
明治維新後の神仏分離令により阿弥陀寺を廃し、新たに天皇社を設立、赤間神宮となります。
最初から安徳天皇を神として祀ったわけではなく、お寺を神宮へと転向させているからでしょうか、パワースポットであるこの神宮には何か通常の神社とは異なる気が漂っています。

みもすそ川公園

みもすそ川公園
説明

公園前に広がる海は関門海峡の一番狭まったところで「早鞆の瀬戸」といわれ、潮の流れが速く、潮流の変化が激しい海の難所。壇之浦古戦場を一望できるこの場所は、二位の尼辞世の歌から地名が生じたといわれ、当時を偲ぶ石碑や歌碑があります。また、ここは幕末の攘夷戦で、外国船に砲撃した砲台跡でもあります。
公園内には源義経・平知盛両雄の像や長州砲のレプリカ5門などがあります。

角島大橋

角島大橋
説明

角島大橋は、2000年11月3日に開通しました。角島観光のシンボル的な存在で、CMなどにもよく登場しています。エメラルドグリーンの海と、途中に浮かぶ小さな島(鳩島)、角島と角島大橋、このバランスが絶妙です。角島大橋を渡られる際にはぜひ、カメラをご持参ください。
橋の中央部に2台程度の駐車スペースがあり、こちらで写真撮影が可能です。角島大橋のそばに浮かぶ、鳩島のそばです。橋の中央部に停車スペースがありますが、ここは非常駐車帯なので、写真撮影はNGです。
角島大橋の通行料は無料です。通行料金無料の離島架橋としては、沖縄県の古宇利大橋(全長1,960m)についで、日本第二位の長さ(全長1,780m)です。

旧下関英国領事館

旧下関英国領事館
説明

下関市民の心の安らぎであり、誇りでもある「旧下関英国領事館」。平成11年5月に国の重要文化財の指定を受けました。
下関市内の国指定文化財(建築物)は、国宝である功山寺仏殿、住吉神社本殿、重要文化財で毛利元就が寄進した住吉神社拝殿に次いで4件目の指定となります。

明治後半、時の駐日英国大使アーネスト・サトウは、成長著しい西日本における外交・経済・交通の拠点である下関に英国領事館を設置することを本国へ具申。明治34年(1901)9月、英国領事館が下関に設置されました。

その5年後の明治39年(1906)、領事業務の拡大に伴い、領事館が新たに建設されました。これが現在の建物で、現存最古の領事館建築物であることに加え、明治期の外交関連施設の典型を示すものとして歴史的価値が極めて高く、国際都市下関を象徴する建造物です。赤煉瓦に包まれた建物は、昭和16年(1941)まで使用され、領事室や領事の居室などに使用された主屋と、使用人室や厨房などに使用された附属屋からなっており、旧下関英国領事館画像設計者は英国工務局上海事務所技師長のウィリアム・コーワンと推定されています。

リンク http://www.kyu-eikoku-ryoujikan.com/